身近な友達

7月22日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

先日、NHK取材班がキリスト復活大聖堂を撮影に来ました。今回は、イスラエル・パレステイナ和平実現の兆しが見える中、イスラエル、パレステイナの著名な家族を取り上げ、これらの家族を通してエルサレムの現状を紹介するとのことでした。パレステイナ側で選ばれたのはムセイベ家(Museibeh)です。

エルサレムのムセイベ家は、代々、キリスト復活大聖堂の管理を任され、鍵を委ねられた家族で、閉める役割を受け継いでいます。先祖は、サウジアラビアのメジナの出で、イスラム教開祖マホメットの片腕として活躍し、7世紀にはエルサレムに移り住んでいたと言われています。十字軍時代、エルサレムを離れていましたが、サルデインがエルサレムを再占領してからはオットマントルコが倒れた1922年まで大聖堂の管理者でした。その後、イギリスが国際連盟の委任を受け、この地の支配者となってからは、事実上、オーソドックスではギリシャ・エルサレム総大主教、アルメニア・エルサレム総大主教、カトリックではフランシスコ会聖地分管区長(クストス)が管理運営に当たっています。しかし、「スタトツス・クオ(Status quo)」に基ずき、以前の名称、役割は彼らが継承しています。夏になり、日差しが厳しくなったある日、いつものように彼と挨拶を交わし、外にでようとしたら、帽子をかぶらなければと注意されました。帽子を買う金がないと言ったら、いくらいると言われました。あわてて断りましたが、嬉しかったです。ことばだけであっても、その心が嬉しかったです。

「写真a:オマル」 これはNHK撮影のため、一時閉めた時のものです。このよオマルうなシーンを内にいる者は決してみることは出来ません。閉まったら、朝の四時まで開きませんので、大事です。門の前、右側が当主ワジェー・ムセイベで、ハシゴに手をかけている大男はイスラム教徒のオマルで、日常、門の開け閉めをしています。鍵は大聖堂外のギリシャ修道院が管理しています。

「写真b;ジョージ」 ジョージはイスラエルの観光警察官で大聖堂担当です。撮影を見守っています。彼の後ろに見えるのが今回のスタッフです。ジョージが大聖堂に勤務するようになった当初のことです。私は休暇を過ごすためテイベリアに行きました。その後のことです。私に話しかけてきました。最近、テイベリアに行かなかったかと。行ったよ、と言うジョージと、実は、同じバスに私も乗っていたのだと言うのです。修道服の姿では見分けられるけど、私服では。似ているけどなーと思いながらも声をかけられなかったと言うのです。マグダラのマリアの里、マグダラに家族を置いての単身赴任です。連休がとれると、家族の元に返るのが楽しみだと言います。まもなく四人目が生まれるそうです。アラブ・カトリック信者です。

「写真c;アルテイン」 アルメニア修道者のアルテインです。NHK撮影の折り、写真を撮ると言ったら、この姿です。二年ほど前、アルメニアから来て、大聖堂勤務となりました。お互いに、共通することばがありません。でも、いつも、出アルテイン会うと声を掛け合っています。先日、アルメニアの聖ヘレナ聖堂で出会ったとき、聖堂裏を案内しましょうかと言ってくれました。私が着任した当初、アルメニアのスタトウス・クオ担当主教様から、説明を聞いたことがあります。この地が石切場であった痕跡とローマ皇帝ハドリアヌスのローマ神殿の遺構があること、しかし、鍵はアルメニア総大主教が管理していて、主教といえども、私の自由にはならないと聞いていました。その後、偶然、大聖堂内のアルメニア管理者(香部屋係で主教)が扉を開けていたので、写真を撮らせてもらったことがあります。しかし、今日日はデジタルです。厚意に甘えて、デジタルで写真を撮らせてもらいました。

「写真d:アベド・ネゴ」 キリスト復活記念聖堂(お墓)裏、コプト聖堂での修道者アザルアベド・ネゴヤです。兄弟三人がコプト修道者です。昨年、エジプト旅行の際、お兄さんのいる砂漠の聖アントニオ修道院に行きました。その日は非公開日でしたが、お兄さんへの手紙を与っていたのでなかに入れてもらいました。ダニエル書(1.6)によると、アザルヤはバビロン宮廷に仕えるようになって、アベド・ネゴと名を変えたとあるので、最近では、アベド・ネゴと呼ぶようにしています。
ニコラス
「写真e:ニコラス」 ニコラスは、最近、赴任したギリシャの若い修道者で、キリスト復活記念聖堂担当です。この日、外で電話中、ドアーキーパーのワジェー・ムセイベに呼ばれ、電話を切って、写真に収まってくれました。

「写真f:アブライム」 アブライムはイスラム教徒で、巡礼団の集合写真を撮る写真屋です。腰が低く、アブライム誰にでも声をかけ、幅広い、しかも、強い人脈を持つ陰の実力者です。一昨年のNHK取材班のコーオルデイネイターが彼の実力に感心していました。日本からの巡礼団が十字架の道行きに「十字架」が欲しいと言われるときは、彼に話しを持っていきます。時間に必ず用意してくれます。しかし、これには従兄弟がカメラを構えて付きまとい、その日の内に、写真集を作り上げ、宿泊しているホテルに注文取りに行きます。

「写真g:35年」 アラブ・イスラム教徒で、名はアンスール、大聖堂自称35年専属ガイド、もちろん、イスラエル政府非公認ガイドです。しかし、35年間、すぐれた眼力で人を見抜き、旅行者の少ないこの時期でも、日に何人、何組かを連れて、大聖堂内を案内しています。一人10ドルですから、またとない職場です。この写真では交渉は成立しなかったようです。

「写真h:マルテイン」 非公認、自称専属ガイドです。アラブ・カトリック信者で、アラブ・カトリックボーイスカウトのリーダーです。二言目には、この大聖堂のことは何でも知っていると自慢しマルテインます。そして、断りなしに香部屋に入り、そこにある「聖墳墓のモデル」を取り出し、自分の客に見せます。ある時、日本人女性を「かも」にし、ガイド料20ドルをせしめました。このことを他のガイドに話したら、取りすぎだ、警察に訴えたらと言われました。当の日本人は気にしていませんでした。写真の女性はフランス人で大聖堂外の聖堂で行われている聖体礼拝によく参加しています。

補足

「エルサレムのムセイベ家」:一族は湾岸地方、ヨルダンでも大きな影響力を発揮しています。

「スタトツス・クオ」:2002年10月15日付けを参照にしてください。