Status quo(スタトツス・クオ)

10月15日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

  前回、「ギリシャの十字架称賛祭日」でも、この言葉「Status quo(スタトツス・クオ)」を使いました。キリスト復活大聖堂、ベトレヘム生誕大聖堂、ゲッセマネの聖母墓地聖堂について語るとき、必ず使われる言葉です。今回はこの言葉について解説したいと思います。

正面ははしごキリスト復活大聖堂は、今回のインティファダ(Intifada)が始まる前、世界からの多くの巡礼者、旅行者でにぎわっていました。そのある日、日本人旅行者を案内していた時、何気なく、「Status quo」と言う言葉を使いました。すると、その言葉は職場で使っていると言い出しました。驚いて、私が、どこで働いているのですかと言うと、外資系の金融機関とのことでした。外交用語と思っていましたが、金融界で日常的に使われているとは知りませんでした。

「Status quo」は辞書では「問題がおかれた状況・状態(the existing state of affairs)」と説明しています。私たちが「Status quo」と言うときは、クリミヤ戦争(1853-56)終了時のキリスト復活大聖堂、ベトレヘム生誕大聖堂、ゲッセマネの聖母墓地聖堂に関する所有権、使用権、慣行を言い、この状況・状態を変えないとの「取り決め」を意味します。そして、日常的には「変えない」、「変えることが出来ない」との意味に使います。この端的な例が、大聖堂入り口右上にある「はしご」です。(写真:正面はしご;大聖堂扉)。窓の内側はアルメニア教会聖堂です。何のためにか、アルメニア教会で1856年以前に立てかけておいたのでしょう。以来、取り外すことが出来ないでいます。

さて、当地の「Status quo」問題の理解のため北方領土問題を取り上げてみます。日本はポツダム宣言を無条件で受け入れ(1945年8月14日)、日本固有の領土大聖堂扉(古写真)を除き、近代、戦争で獲得した台湾、朝鮮、南樺太、アリューシャン列島を放棄しました。しかし、択捉、国後、歯舞、色丹の4島は日本固有の領土で、戦争で獲得したものではありません。しかも、ポツダム宣言受たく後、ロシア(旧ソ連)に占領されたのです。このときから50年が過ぎても、返還どころか帰属問題でさえも、明確に解決していません。敗戦時のどさくさ紛れの状況がいまだに続いています。これが北方4島、択捉、国後、歯舞、色丹帰属問題の「Status quo」です。

キリスト復活大聖堂、ベトレヘム生誕大聖堂、ゲッセマネの聖母墓地聖堂は1009年のイスラム教徒による破壊後も、1054年のカトリックとオーソドックスとの分裂後も、キリスト信者の聖地として、土地の信者が、全世界から巡礼者がそれぞれの教会祭儀をそこで行っていました。イスラム教徒が巡礼を妨げ、禁じたことから十字軍運動が起こり、十字軍がエルサレムを開放し、ラテン王国を築きました。(1099年)。

1187年、ハッテイン(Hattin) の戦いで十字軍が破れ、聖地はイスラム教徒が再び支配することとなりました。1333年、フランシスコ会は何の軍事力の後ろ盾を持たず、エルサレムに入り、「最後の晩餐の部屋(Cenaculum) 」を修道院としました。1342年、教皇はキリスト復活大聖堂をフランシスコ会に委ねました。1524年、イスラム教徒は「最後の晩餐」修道院を取り上げ、フランシスコ会を追放しました。この間、キリスト復活大聖堂の権利を失いましたが、まもなく復権し、祭儀を執り行うことができるようになりました。

1633年までは、キリスト復活大聖堂、ベトレヘム生誕大聖堂とその直下の「生誕の場所」、ゲッセマネの聖母墓地聖堂の所有者がフランシスコ会であることはオーソドックス諸教会が認めていましたし、また、それぞれの教会には聖所での祭儀執行が保障さえていました。1633年、ギリシャがインスタンプルのスルタンを動かし、フランシスコ会固有のカルヴァリオ「右半分」と入り口の「塗油の石」、それに、ベトレヘムの「生誕の場所」を「自分たちのもの」としたことから、聖所の所有権争いが始まりました。

1829年以来、フランシスコ会と係争中の聖所の所有者は以下の通りです。キリスト復活大聖堂の「アナスタシア(復活ドーム)」と「復活聖堂(お墓)」それに入り口の「塗油の石」はギリシャ、フランシスコ会、アルメニアです。また、ベトレヘムでは「生誕大聖堂(木造)」と洞窟の「生誕の場所」はギリシャとアルメニアです。それに、ゲッセマネの聖母墓地聖堂はギリシャです。このような訳で、フランシスコ会はベトレヘム生誕大聖堂、誕生の場所、ゲッセマネ聖母墓地聖堂でミサを捧げることが出来なくなりました。(ベトレヘム洞窟の「飼い葉おけ祭壇」はフランシスコ会固有の祭壇ですので、ここではミサを捧げることが出来ます。)

「Status quo」 はフランシスコ会との聖所帰属問題ばかりではありません。オーソドックス間では祭儀執行権問題があります。前回のギリシャの十字架称賛祭日で取り上げた、ギリシャとシリアの争いは、シリアはこの日にはカルヴァリオで献香する慣わしがあったといい、ギリシャは現「Status quo」ではそのようなことは認めてないと言うものでした。シリアはアンテイオキア教会の流れを汲むものとして、エルサレムで大きな勢力でした。しかし、現代では大聖堂内に固有の聖堂を持たず、アルメニアの聖堂を借りて主日のミサを行っています。シリアは、今回、ギリシャが認めていないことは承知で、あえて、献香に上がったのだと思います。

ギリシャは「Status quo 」を現状維持、変更不可の立場をとり、シリアは現慣行はシリアの伝統的祭儀執行権を奪っていると訴えているようでした。北方領土問題の日本のようです。

私は、係争中の聖所がすべてフランシスコ会のものとなり、カトリック祭儀が行われるようになることを望んでいますが、返還されたら、維持しなければなりません。建物の維持管理には問題があるとは思いません。問題なのは聖所でふさわしい祭儀を行い続けることです。ギリシャもアルメニアもそしてフランシスコ会も要員確保に苦労しているようです。ギリシャやアルメニアの修道士たちが果たしている職務を引き受けるフランシスカンがいるでしょうか。返還されたら困るだろうな、というのが本音です。

補足:大聖堂扉(古写真)は1920代以前のものです。片扉が閉じられています。例外として聖週間、多くの信者が参列するので全開していたとのことです 。1960年代、大聖堂大改修工事のため、常時全開するようになったと聞きました。「Statsus quo」で変更はないといわれますが、ギリシャ、フランシスコ会、アルメニアの共同体が必要と認めれば、このように変更が出来るのです。