ピオ神父列福される

  およそ一〇〇万人の巡礼者を迎えて、ピオ神父の列福式がバチカン・聖ペトロ大聖堂広場で盛大に行われた。どんなに聖ペトロ大聖堂広場が広くても、これだけの人数を収容できない。そのために、聖ペトロ大聖堂から三キロ程離れたところのラテラン大聖堂広場にもう一つの会場が設けられた。教皇様は聖ペトロ大聖堂での列福式が終わると、直ちにヘリコプターでそこに駆けつけ、大勢の巡礼者に喜びの挨拶をされた。

 福者ピオ神父は、 一八八七年五月二十五日にイタリアのピエトレルチナに生まれた。十六歳にしてカプチン・フランシスコ修道会に入会。 一九〇七年一月二十七日に荘厳誓願を宣立し、 一九一〇年八月十日に司祭職に叙階される。

 ちなみに、現在、カプチン・フランシスコ修道会は、日本では主に沖縄で福音宣教に従事している。
 福者ピオ神父は、師父聖フランシスコの精神を忠実に受け継ぎ、神と隣人への愛に燃え、償いの生活を行い、霊的指導、罪のゆるしの秘跡、聖体の秘跡を通して人々の救いのために全生涯を捧げた。特にミサ聖祭を最も大切にし、これに参加する人々に多大な感銘を与えた。社会福祉の面では、不幸な状態にあって苦しんでいる多くの家族のために、病院のような「慰労の家」という施設を造った。
 福者ピオ神父は信仰に生きた人で、師父聖フランシスコのように、昼も、夜も祈りに時を費やし、神との親しい交わりを深めるよう努めた。そして次のように言っていた。「書物の中では神を捜し、祈りの中では神を見い出します。祈りは、神の心を開く鍵となります」。またフランシスコの真の弟子にふさわしぐ、聖母マリアに対する信心が厚く、聖母を敬い愛した。

 フランシスコ会会員の立てる誓願、すなわち従順、無所有、貞潔の三誓願を忠実に守り、償いの生活に励み、多くの不思議なしるしを行って、苦しんでいる人たちを助けた。福者ピオ神父がつねづね口にしていたのは、「私は、ただ祈るだけの貧しい兄弟でありたいと望みます」という謙遜なことばであった。

 教皇ヨハネ・パウロニ世が言っておられるように、福者ピオ神父は十字架の道こそ、自分に与えられた道であることを悟り、自ら進んで十字架の道を選び、人々と苦しみを共にした。そしにて「あなたがたは、イエス・キリストの御傷によって癒された」という使徒聖ペトロのことばを繰り返し人々に教えていた(一ペトロ2・25)。そして聖フランシスコのように、十字架のイエス・キリストの五つの傷、すなわち聖痕を人々の癒しのために自分の体に受けた。血の滴る五つの傷とその苦しみは、すべての人、特に病める人に対する神の愛を物語っていると、教皇は言っておられる。このように福者ピオ神父は、イエス・キリストにならって、人々の救いのために専ら「愛することと苦しむこと」を願った。

 福者ピオ神父は、 一九六八年九月二十三日、安らかに「姉妹なる死」を迎えた。享年八十一歳。臨終の床にあっても、聖母マリアを思い、一皆、聖母を愛しなさい。そして皆が聖母を愛するようにしなさい。いつもロザリオを唱えなさい」と勧めた。葬儀に際しては、方々から大勢の人たちが競い集まり、
福者ピオ神父に感謝の祈りを捧げた。そして今も生前と同じく、大勢の人が福者の取り次ぎを願い、不思議な恵みを頂いている。(編集部)