主の降誕を心からお祝い申し上げます

 

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

「きょう、ダビデの町に、あなたがたのために、救い主がお生まれになった(ルカ2.11)。」ローマ皇帝の勅令で、ダビデの町、ベトレヘムは戸籍登録のために戻ってきた人々でごった返していました。ナザレから来たヨゼフは人々に歓待せれるほどの人ではなく、身重の妻マリアのため宿を取ることも出来ませんでした。洞窟を探すのがやっとでした。初産で不安がるマリアを励まし続けたヨゼフも、出産の時が迫ってくると、どうしてよいか分からず、出産に立ち会う産婆や女たちを集めるのがやっとだったでしょう。男の子が産まれました。八日目には割礼を授け、「イエス」と名付けました。「神はわれらとともにいます」という意味です。

「さて、羊飼いたちが、その地方で野宿して、夜どおし羊の群れの番をしていた。すると、主の使いが羊飼いのそばに立ち、主の栄光が羊飼いたちを覆い照らしたので、彼らはひどく恐れた(ルカ2.8-9)。」み使いが「主メシア」の誕生を告げ終えると、天の万軍が加わり、「いと高き天においては神に栄光、地においてはみ心にかなう人々に平安(ルカ2.14)」と神を賛美しました。

福音書が伝える救い主の誕生物語は今では世界に広まり、「クリスマス」はキリスト者に、またそうでない人にも「理解」しているところは異なるにしろ、通じる言葉となりました。そして、生誕2000年、ダビデの町、ベトレヘムは何とも悲しい状態となりました。今日のベトレヘムは「誕生の場所」、ベトレヘムと「キリスト信者の町」、ベッツジャラと「羊飼いの野原」、ベッツサフルに区分されます。クリスマスの夜、み使いが羊飼いに現れ、神の子の誕生を告げ、「神に栄光」、「地に平安」と歌った辺りは、銃弾が飛び交い、戦車の砲撃があり、ミサイルが打ち込まれています。

それは、この町の民家からアラブ人が谷向こうのイスラエル軍駐屯地に銃撃するからです。アラファト率いるパレステイナ暫定自治政府はこれまでも何回か武力行使を抑えようと試みましたが、下部組織の跳ね上がりを抑えることが出来ませんでした。パレステイナ武闘派は現時点で、大半のイスラエル国民が容認できない「エルサレム帰属」、「難民の帰還」の承認を含むパレステイナ国家の独立を目指しています。

最近のイスラエル新聞にこんな記事がありました。建築する分譲マンションは、まず、イスラエル人のためで購入するとき、アラブ人には転売しないとの条件が付けられるとか。イスラエル人はアラブ人と一緒に集合住宅に住みたくないと言うことです。イスラエル人は自分たちだけのコロニを作り、そこに住みたがります。

これまで、パレステイナ問題の解決はイスラエル人とパレステイナ人(アラブ人)が夫婦のように協力して、自分たちの国を造りあげることにあると思ってきました。しかし、市民レベルでお互いが相手を嫌いになったらどうにもなりません。どうにもならなくなった夫婦のようなものです。

神は「地に平安」をすでに実現しました。お生まれになった神の子は、成長し、人々の中にあって、「神はわれらとともにいます」を実現してくださいました。「キリストは、ご自分の体によって、人を隔てていた壁、すなわち、敵意を取り除き・・・・」(エヘソ2:13-18)とあります。神がおん子の十字架によって「隔てていた壁」を取り除いてくださったのに、私たちが自分たちの間に「敵意」の壁を築くなら、「地に平安」の実現を妨げているのが私たちとなります。

大聖年の締めとして、祈ります。21世紀が人々との和解で始まりますように。

よい年をお迎えください。
2000年クリスマス