土地を奪われた(続)

(10月24日)

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

明日25日はエルサレム総大司教区では童貞聖マリア、聖地の元后を祭日で祝います。総大司教区の第一位の守護者です。聖地の元后聖マリア、我らのために祈り給え。

パレステイナ暫定自治区、ベトレヘムのベッジャッラ(キリスト信者の町)から夜になると隣の町、エルサレムのギロに向けて銃撃してくるので、昨夜はイスラエル軍は戦車砲と機銃で反撃しました。エルサレム近辺で、パレステイナ側からの銃撃がひどくなったのがギロです。度重なる銃撃に、夜、不安で眠れないと言うギロの住民は早くから、戦車、ヘリコップターの出撃で、治安の確保を訴えてきました。イスラエル軍は被害を最小限に留めるため砲撃を予告しての反撃でした。

さて、パレステイナの武装勢力は、なぜ、ギロを攻撃するのかが今日の新聞で分かりました。ギロは独立戦争時(1948)の激戦地でした。エルサレム攻略のため進撃してきたエジプト軍をイスラエル軍はここでくい止めました。ギロ(丘陵地帯)は取ったり取られたりを繰り返し、停戦の時はヨルダン領になりました。1967年、イスラエル軍はヨルダン軍の駐屯地を一気に占領してしまいました。その後、73年から74年にかけて、宅地造成をし、新興住宅地ギロとなりました。

パレステイナ人が「土地を奪われた」と言うとき、「個人所有地」よりも「ヨルダン領」をと言っているようです。ギロ住民への個人的恨みからではなく、ギロはヨルダン領だったので、そこを取り戻すと言うのが攻撃の口実のようです。パレステイナ人は「独立戦争」と叫んでいるとも聞きます。

パレステイナ側の和平交渉の終着点は67年以前の旧ヨルダン領(ヨルダンはイスラエルとの和平交渉でヨルダン川西岸を放棄しました)に独立した国を作ることでした。イスラエルにとってはパレステイナがイスラエルを認め、イスラエルの安全が保障されるなら、独立を認めざるを得ない、と言うことだったと思います。

今回の衝突で、和平交渉を進めていた現政権の労働党の思惑は見事にはずれ、和平交渉に反対してきたLikudを勢いづける結果となりました。