土地を奪われた

(10月22日)

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

昨日、今日と雨が降りました。まだ、路面が濡れる程度ですが、季節は乾期から雨期へと確実に変わります。それにつけても、一ヶ月に及ぶ衝突がイスラエル各地で起きています。問題を武力で解決しようとする人の心はメレニアム(千年)を何回重ねても変わりません。昨日はベトレヘムに配備されているイスラエルの戦車が初めて威嚇射撃をしたとありました。エルサレムは平穏ですが、近郷ではベトレヘムやラマッラで銃撃戦が跡を絶ちません。今朝、イスラエル軍は銃撃してくるパレステイナ人がこもる建物は破壊すると発表しました。これまで、ベトレヘムでの衝突は、「ラケルの墓」でした。、今回はベッサフール(主の降誕の時、天使たちが現れたところ)のイスラエル人入植地と、ベットジャッラ(キリスト信者の町)の境界に最近ロシアからの移民のために建設された新興住宅地、ギロを警護するイスラエル兵との衝突です。 
アラブ人はイスラエル人が土地を奪ったと言います。「奪った」と言われても、ふに落ちませんでした。そんなとき、ガイドがこんな話をしてくれました。百年前、ユダヤ人がこの地に入植するに先立って、彼らはヨーロッパで優雅に生活していた、アラブの不在地主から土地を買い取り、入植したと言います。その地で生活していたアラブ人には寝耳に水で土地を追われたようです。ベトレヘムの辺りは最近までは何千も続いた放牧地で、部族単位での所有区分があったにしても、現在の日本のように、それぞれの家族が土地を所有していたとは思われません。土地所有権、その譲渡についての慣行は日常的ではなかったのか、あるいは、住民の大多数は「小作人」で気が付いてみたら、周りをイスラエル人に買い占められていた。バブル時、土地ブームで、地上げ屋の暗躍で借家住まいの人が追い出されたのに似ているのではないかと考えるようになりました。

とにかく、パレステイナ人には「恨み」が根付いていました。そして、さらに今回の衝突で、多くの死者、けが人を出した、イスラエル人、パレステイナ人双方に、「憎しみ」と「復讐心」が根付いてしまいました。国の指導者同士で政治的和解が成立しても、それぞれの心の傷をいやすのは大変なことです。神のいやしの恵みを願わずにいられません。

幸い、キリスト復活大聖堂近辺は穏やかです。昨夜は「かりいお祭」の最後の夜だったので、夜半過ぎまで祭りを楽しむイスラエル人の騒ぎが聞こえました。観光客は来なくなりました。巡礼団はポーランドと中南米からです。この一年で、一番、静かに祈れる今日この頃です。そうそう、昨日、一人旅の日本人女性が途中から行列に加わりました。危険情報は知っていたが、すでに旅の手配をしてしまったので来たとのことでした。