巡 礼

(10月16日)

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

今年初めての雨があ今年初めての雨がありました。雨を言うよりは顔にしぶきが当たったと言うべきかもしれません。でも、季節は確実に乾期から雨期に移っていきます。

今日のエルサレムは静かです。巡礼団、観光客のほとんどは帰りましたし、予定の人たちはこの時期をキャンセルし、情勢が静まるのを待っているようです。旧市街は生活している人たちの街に戻りました。Via Dororosaで挨拶を交わしたアラブの商店主はクリスマスには元に戻ると言っていました。大聖堂を出るとき出会ったアラブ・キリスト信者の友人とはアラブ人とイスラエル人との間に出来た大きな溝をどう埋めていくのか、双方の心に負った傷はどういやしたらよいのか問題の深刻さを話し合った直後だったので、このアラブ・イスラム教徒の言葉に「神のことばは生きていて、力があり・・・」との今日の第二朗読ヘブライ4;12を思い出しました。

ゲッセマネのマリア様の墓で「おん子は人々の和解のために十字架で苦しみながら死んでいったのに・・・」とおん母の苦しみを黙想し、イエス逮捕の洞窟では「ことの真相をすべて承知しながら、弟子ユダの接吻を受けるイエス」を黙想し、苦悶の大聖堂では「{自分があなたの怒りをなだめる生け贄になったにしても、人々の心は変わらず、あなたに背き続けるのに・・・}とこの頃の出来事も、イエスの心を苦しめたのであろうか」と黙想しました。そして、主の泣かれた教会に上って、神殿の丘、神聖なモスクを見下ろし、「もし、きょう、おまえもまた平和をもたらす道がなんであるかを知ってさえいたならば・・・・訪れの時を知らなかったから」だとの福音(ルカ19:41-44)を黙想しました。

「主の泣かれた教会」でひとときを過ごし、帰りがけに、顔見知りの兄弟と挨拶を交わしました。当然、先月29日の衝突の話になりました。ここから、イスラエル兵の発砲で逃げまどうイスラム信徒が見えたとのことでした。その後も小規模ながらステファノ門(ライオンゲート)での攻防がありました。彼は暴力の行使者はイスラエルだとの意見でした。銃を発砲し、戦車を出動させ、ヘリコプッターからミサイルを発射しているからだと。

西の壁・神殿では「かりいお祭」二日目でしたが、その数は黒い服の人たちが多く、一般のイスラエル人は混乱を避けてか、目立ちませんでした。もちろん、観光客の姿は見わたりませんでした。しかし、西エルサレム(イスラエル側)では路地や屋上にシュロの葉を葺いた仮小屋が目に付きます。聖書の時代から彼らには楽しい祭りだったようです。
りました。雨を言うよりは顔にしぶきが当たったと言うべきかもしれません。でも、季節は確実に乾期から雨期に移っていきます。

今日のエルサレムは静かです。巡礼団、観光客のほとんどは帰りましたし、予定の人たちはこの時期をキャンセルし、情勢が静まるのを待っているようです。旧市街は生活している人たちの街に戻りました。Via Dororosaで挨拶を交わしたアラブの商店主はクリスマスには元に戻ると言っていました。大聖堂を出るとき出会ったアラブ・キリスト信者の友人とはアラブ人とイスラエル人との間に出来た大きな溝をどう埋めていくのか、双方の心に負った傷はどういやしたらよいのか問題の深刻さを話し合った直後だったので、このアラブ・イスラム教徒の言葉に「神のことばは生きていて、力があり・・・」との今日の第二朗読ヘブライ4;12を思い出しました。

ゲッセマネのマリア様の墓で「おん子は人々の和解のために十字架で苦しみながら死んでいったのに・・・」とおん母の苦しみを黙想し、イエス逮捕の洞窟では「ことの真相をすべて承知しながら、弟子ユダの接吻を受けるイエス」を黙想し、苦悶の大聖堂では「{自分があなたの怒りをなだめる生け贄になったにしても、人々の心は変わらず、あなたに背き続けるのに・・・}とこの頃の出来事も、イエスの心を苦しめたのであろうか」と黙想しました。そして、主の泣かれた教会に上って、神殿の丘、神聖なモスクを見下ろし、「もし、きょう、おまえもまた平和をもたらす道がなんであるかを知ってさえいたならば・・・・訪れの時を知らなかったから」だとの福音(ルカ19:41-44)を黙想しました。

「主の泣かれた教会」でひとときを過ごし、帰りがけに、顔見知りの兄弟と挨拶を交わしました。当然、先月29日の衝突の話になりました。ここから、イスラエル兵の発砲で逃げまどうイスラム信徒が見えたとのことでした。その後も小規模ながらステファノ門(ライオンゲート)での攻防がありました。彼は暴力の行使者はイスラエルだとの意見でした。銃を発砲し、戦車を出動させ、ヘリコプッターからミサイルを発射しているからだと。

西の壁・神殿では「かりいお祭」二日目でしたが、その数は黒い服の人たちが多く、一般のイスラエル人は混乱を避けてか、目立ちませんでした。もちろん、観光客の姿は見わたりませんでした。しかし、西エルサレム(イスラエル側)では路地や屋上にシュロの葉を葺いた仮小屋が目に付きます。聖書の時代から彼らには楽しい祭りだったようです。。