イコンに見る「救いの歴史」

5月20日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
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何度か訪ねた聖ナパ主教座聖堂(ギリシャオーソドックス、リマソール、キプロス)でした。その都度、閉まっていました。今回、人の出入りを見かけたので、境内に入るとドアーは開いていました。創建は19世紀とのことでした。壮大とは言えませんが、シャンデリアがり、イコンと大理石のきれいな聖堂です。 
救いの歴史
写真は正面アプセスのものです(クリックで大に)。

上のイコンは「聖三位」として、知られています。創世記18章によると、暑い真昼、アブラハムは天幕の入り口に座っていました。目を上げてみると、三人の人が・・・立っていました。アブラハムは三人を招きいれ、食事の接待をします。その席で、・・・「来年の今頃、・・・あなたの妻サラに男の子が生まれているでしょう」。物陰で、このことを聞いたサラが笑いました。「なぜサラは笑ったのか。なぜ、年を取った自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。主に不可能なことがあろうか。・・・」。イサク誕生の預言です。

その下は、おん子を抱える聖母です。右の天使は聖ガブリエルで、お告げの使命を果たしています。左は聖ミカエルです。黙示録12章には、身ごもった女と竜、生まれた男の子を飲み込もうとする竜、天での聖ミカエルと竜との戦いが描かれています。女の産んだ男の子は「教会」であり、誕生間もない教会が迫害にさらされている現状を物語っています。この教会を護るのが聖ミカエルです。

右、聖ガブリエルの下はベテルでのヤコブです。母レベカにそそのかされ、兄エサウから長子権を騙し取ったヤコブでしたが、兄エサウの怒りに身の危険を感じ、ハランにいる伯父を頼って家を出ます。聖地ベテルで夢を見ます。天に届く階段があり、天使が上り下りしています。そして、主のお告げを受けます。「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」(創世記28.15)

左、聖ミカエルの下には見慣れないイコンがあります。モーセはシナイで「柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない」不思議な現象に出会います。モーセの召し出し、神の名の啓示として有名な箇所です。(出エジプト3章)。主は燃える柴の中から、民をエジプトから連れ出す使命を授けます。その折、モーセが主の名を尋ねると、「わたしはある。わたしはあるという者だ(ヤーウエ)」と告げられました。この出来事はよくイコンの題材になっています。しかし、このイコンには燃える柴の中心におん子を抱える聖母がいます。

ヨハネ福音書では、イエスはご自分を「わたしはある」と言っています。(8.24;13.19)この「わたしはある」はシナイでの啓示以来、神の本性を表す言葉です。イスラエル人はこの言葉を発音することをも恐れ、「主(アドナイ)」と置き換えて発音しています。ユダヤ人はイエスとの論争で、イエスの意図に気付き、神を冒涜するものとしてイエスを追及し、殺してしまいました。

イコン作者は、大胆にも、イエスがモーセに出現した「ヤーウエ」と宣言しているのです。

中央、イエスを抱く聖母の下、ヤコブと燃える柴の間には「使徒たちに聖体を授けるキリスト」です。ここに神の救いの約束は完成しました。

神がアブラハムを選び、年老いたサラから常識的には不可能な子の誕生、イサクを起こし、ヤコブには「ともにいる」と約束し、モーセを通して契約の民に「ヤーウエ(ともにいる)」であることを示しました。また。イエスはイザヤの預言に基づき「イマヌエル(神はわれらとともにいます)」と呼ばれました。(イザヤ7.14;マタイ1.23)

イエス・キリストが昇天の際に残された言葉:「わたしは世の終わりまで、いつもあなたたちとともにいる(マタイ28.20)」は聖体祭儀を行う教会において、その時その場所で、実現しています。