主の降誕と新年の喜びを申し上げます

12月18日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

NHKの探検ロマン世界遺産:「エルサレム・34億人の聖都」の反響には驚きました。放送直後、30数年前、洗礼を受けたと名乗る方々からメールを頂きました。6月、エルサレム在住の友人から、NHKの取材に協力して欲しいと言われました。まず、プロデューサーに会い、取材の目的を確認し、喜んで協力することにしました。しかし、ひとこと言い添えました。「カイロ」では十字軍の扱いが不当だったと。

約束の日での撮影が済んだ後も、取材班が大聖堂内を撮影しているのを何回か見ました。私が祭儀を司式しているところは偶然でした。その折、プロデユーサーから言われました。イスラムを取材していて、十字軍をどう扱って良いか分からなくなったので、キリスト教会からの解説をしてもらえないだろうかと。それで、十字軍兵士が刻んだ十字架の壁の撮影となりました。

現代では、あのイスラム教徒が言うように、十字軍の残虐行為が強調されています。しかし、十字軍運動はビザンチンからの「キリスト教社会根絶」を図ったイスラム教徒に対する自己防衛でした。特に、「キリストの死と復活の聖地」の蹂躙は許しがたいことでした。

十字軍は破れ、聖地から駆逐されました。しかし、十字軍が再建した「キリスト復活大聖堂」は破壊を免れました。他はイスラム神学校となった現聖アンナ教会を除き、壮麗なロマネスク建造物は破壊尽くされました。十字軍の支援を失ってからも、キリスト復活大聖堂が存続できたのは「キリスト信者の復活信仰」がこの聖堂と深く結びつき、キリスト教国が外交努力を絶やさず、スルタンとの関係を良好に維持してきたからです。

7月には小泉前首相を迎えました。恒例により、大聖堂前でお迎えすると、実物のフランシスカンと出会うのは初めてだともらされました。フランシスコ会の修道服を着ているとの意味でしたが。カルヴァリオを案内しながら、フランシスコ会とギリシャ正教とではまだ解決していない問題が山積していると話しました。前首相が「どうして、この地では争いが絶えないのだろうかね」ともらされた時、正教の院長が聖十字架をお見せしたいといってくれたので、「なぜ争いが絶えないのか」お答えする機会を失いました。個別的な答えですが、「キリストの受難・復活の聖地」は血を流してでも護り抜きます。人には、このように、掛替えのないものがあります。

最近の日本での事件には心が痛みます。親が子を殺し、子供が親を殺す。いじめを苦に自殺する子供。鉄道の不通はほとんどが飛び込み自殺です。このような事件の他にも、お金がなくて苦しむ人。お金があっても心に安らぎのない人。人との交わりが出来ない人。家族とともに過ごしていながら、身の置き場がない人。

聖ベルナルドの「主の三重の来臨がある」との言葉が思い出されます。第一の来臨は「クリスマス」であり、第二の来臨は「栄光と威厳」をもって来られる世の完成のときです。第三の来臨とは、「ただ選らばれた者だけが魂の奥で主を見、彼らの魂は救いを得る」その時です。

この意味でクリスマスを祝いたいです。それは、歴史の出来事としての神の子の誕生を思い起こすばかりでなく、すでに神が私たちとともにおられるので、この方を心の奥に見出し、この方からの心の安らぎが悩み、苦しむ人たちにあるようにと祈ることです。
今年も皆様に支えられ、無事に過ごすことが出来ました。心から感謝しております。来年もよろしくお願いします。

そして、来る年の日々に「主の第三の来臨」があるように祈ります。