キプロス

6月12日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

写真1:国境キプロスに行ってきました。テルアヴィヴから一時間足らずでラルナカ空港に着き、数年前までエルサレム本部修道院にいたメキシコ人神父様が迎えてくれました。なんと、乗用車はトヨタのカローラでした。キプロスで目にした車はほとんどが日本製ですが、日本人には出会いませんでした。

さて、キプロスに惹かれた理由ですが、聖墳墓でともに過ごした兄弟たちとの再会の楽しみの他に、新石器時代の遺跡、これ以降の地中海文化遺跡、使徒パウロ、使徒バルナバの足跡、世界文化遺産に指定されている田舎のイコン聖堂、ベニス時代に建設されたカトリック聖堂、特に、最後の晩餐聖堂様式がキプロス・ゴシックと言われているので、興味を持ちました。
写真2:サラミス
キプロスは分断された国家です。独立してまもなく、1977年、トルコ軍が侵入し、北半分を占拠し、キプロス共和国に対立する北キプロスを成立されました。キプロスがギリシャ化されるのを恐れて、イスラム住民を護るというのが、トルコの言い分のようです。トルコ軍の侵入に対して、国連の対応があり、トルコ軍は全キプロスを制圧することは出来ませんでした。キプロスによると、トルコは停戦協定を二度、三度と破り、現在の国境となったと話しています。

キプロスの首都ニコシア(Nicosia)も分断されました。その際、幾何学的線引きによれば、聖十字架カトリック教会(フランシス会修道院)はトルコ側に編入されるはずでした。しかし、ここはローマ教皇庁使節館でもあったので、キプロス側に残されました。修道院の壁が国境となっています。裏門を出るとトルコ側です。トルコ側に住むカトリック信者が、支障なく、ミサに参加できるようにとの配慮でした。しかし、外国人がこの経路でキプロス側に出国したことが発覚し、今では閉ざされたままです。(
写真1:国境)。
写真3:使徒バルナバ
さて、修道院ではバチカンの聖職者用に外交官ナンバーの車を所有しております。現教皇庁使節は、北海道で働いていた、ベニス管区のルナルデイ神父様と同期のウンベルト神父様で、私たちの北キプロスドライブに外交官ナンバーの車を貸してくれました。お陰で、隣の検問所を抜けて、北キプロスに入ることが出来ました。

サラミス(Salamis)。アンテイオキアの教会から派遣されたパウロとバルナバが最初に足を踏み入れたのがキプロスのサラミスです。(使徒行録13章)。その頃は、地中海交易で栄えていました。5世紀初頭にはキプロス一の大聖堂が建ち、メトロポリタンでした。しかし、その後、度重なる地震に見舞われ、7世紀にはアラブの海賊の襲撃を受けるようになり、住民が移住したことにより、サラミスは廃墟となりました。写真はローマ時代の劇場です。舞台からの声は十分聞き取れます。(
写真2:サラミス)。
写真4:カテドラル
使徒聖バルナバ霊廟。サラミスと隣り合わせのところです。聖堂は、トルコイスラム支配下、博物館となっていますが、使徒聖バルナバのお墓を詣でる人は跡を絶ちません。(
写真3:使徒バルナバ)。

ファマグスタ(Famagusta):サラミスの住民が移り住んだのがこの都市です。中世、ベニスが支配するようになりました。また、シェークスピア悲劇オセロの舞台となったところです。今では、城壁内は破壊されたカトリック教会建造物の墓地のようです。(
写真4&5:カテドラル;聖フランシス聖堂)。

ベラパイス(Bellapais)。ニコシアの北、キレニア(kyrenia)にあるベネデイクト会修道院廃墟です。エルサレム「最後の晩餐記念聖堂」につながるキプロス・ゴシック様式を見ることが出来ました。(
写真6:キプロス・ゴシック)。

写真5:聖フランシス聖堂パフォス(Pafos)。パウロとバルナバは島全体を巡回し、パフォスから船出したとあります。港の近くに、聖キリアキ(AyiaKyriaki)と呼ばれる遺跡があります。ビザンチン時代のものです。16世紀、北側にフランシスコ会は聖堂を建てましたが、今では、広い廃墟の一部です。しかし、数十年前、数人の信者から始まり、エルサレム総大司教区パフォス小教区としての活動の拠点、聖堂があります。(
写真7:キリアキ)。

ラルナカ(Larnaka)。一度は死んだラザロですが、キリストの復活の恵みを受け、後には、キプロスに渡り、この地の司教として復活の証人として生涯を終えました。(
写真8:聖ラザロ)。

キプロス都市部ではアジア系の若い女性たちが目立つようになったとのことです。滞在して
写真6:キプロス・ゴッシックいたリマッソル(Limassol)の教会ではフィリッピン、インド、スリランカからの多くの女性たちに会いました。キプロスでは介護就労ビサを出しています。教会もこの恩典に与かり、フィリッピン人女性を雇っています。聞くと、主任司祭と個人契約で、期間は4年。月収は手取りで4万円程度だそうです。住居、食事つきとは言え、あまりにも小額です。しかもそのほとんどは送金してしまうようです。

私はと言えば、三食付で外食することはありませんでしたが、レストランのメニューを見ると、スパゲッテイと生ビールで1000円ぐらいです。

教会では、主日、フィリッピン人ボランテイアーが食事サービスをしています。一日中、バザー並みに賑わっています。

主日のミサはギリシャ語、ラテン語、英語で5回あります。どのミサでも英語聖書朗読があります。他に、分かち合いのグループが言語ごとにいくつかあります。

キプロスはギリシャ正教の国なので、アジア系の女性が結婚するには受洗することが求められます。このため、便宜上、洗礼を受けた写真7:キリキアだけだと話してくれた女性がいました。
写真8:聖ラザロ

 

 

 

 

キプロスにはユネスコ世界文化遺産に登録されているイコン聖堂がいくつかあります。これらの教会での写真撮影は禁止されているので、折角持っていった一眼レフが役に立たず、本を買いました。折を見て紹介します。