ホザンナ主の名によって来られる方

4月15日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

4月13日は寒くもなく暑くもなく晴天で、さわやかなエルサレムでした。

この日、カトリック教会は主のエルサレム入城を祝いました。キリスト復活大聖堂では、午前7時、総大司教が共同司式者と共に復活記念聖堂(お墓)前の式場に進み
(写真1:Patriarcha)、枝の祝別と授与が行はれました。(写真2:枝の授与)。そして、枝を手に手に、行列は復活記念聖堂を左回りに3回回りました。ミサ中の受難の朗読は古式に則り、グレゴリオ聖歌による歌唱でした。

午後、人々はベトファゲに集まりました。
(写真3:ベトファゲ聖堂)。1時半、式が始まり、行列がエルサレムへ向かいました。この日の行列の先頭は子供たちでした。(写真4:よき羊かい)。状況が状況なので、外国からの巡礼団と西岸・ヨルダンからの信者の参加はありませんでした。それでも、エルサレム在住の修道者や信者、また、イスラエル国内の信者が多く参加していました。(写真5:行列)。メキシコを中心とした中南米出身者とフィリッピン人。彼らは出稼ぎ労働者たちです。ポーランド人も多かったです。また、フランス語も耳にしました。ただ、イタリア語は聞けませんでした。フランシスカンは総大司教たちの直前でした。(写真6:フランシスカン)。行列参加者は少ないかなと感じていましたが、行列の先頭がゲッセマネを過ぎ、ステファノ門(ライオン門)さしかかっても(写真7:行列の先)、フランシスカンは「主の泣かれた聖堂」あたりでしたので、大変な人出だったと思い直しました。(写真8:行列の後ろ)

ところで、イラク戦争はフセイン政権が既に崩壊し、最後の拠点テイクリットも制圧され、連合国側の勝利宣言で間もなく終わるでしょう。そして、戦後のイラク復興が国際社会の課題として残されます。実に、この一週間はどのテレビもイラク戦争一色でした。

5日(土)、アメリカ軍はサダム国際空港を制圧しました。翌日の昼食時、アラブの料理人が「空港を占拠していたアメリカ軍がイラク軍の集中砲火を受け殲滅した。」と伝えました。そんなことはないと思いながらも気になって、12時半のニュースを見るためテレビの前に集まりました。サアブ情報相の記者会見に基づく情報と分かりました。その三日後、例のアラブ人がアラブ語ラジオを聞きながら、バクダットが陥落したと言い出しました。先日のことがあったので、どこからの放送かと聞くと、ロンドンからだと言いました。

このときのテレビは、確かに、群集がよって、たかってサダム像を引き倒す場面でした。そして、横たわる巨大なサダム像に上がり、歓声を上げていました。顔面を履物で打ちたたく者、つばを吐きかける者もいました。そして、五体を引き離し、頭部にロープをかけ、引き回す場面となりました。前日まで、「血も魂もサダムにささげます。」と熱狂していた群衆の行為でした。そして、今では「アラーは偉大な神、サダムは神の敵。」と呼ばれるようになりました。

その昔、エルサレムの住民が、子ロバに乗るイエスに自分の衣服を、あるいは、小枝を切り取ってきて道に敷き、「ダビデの子にホザンナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホザンナ。(マタイ21.9)」と歓呼しました。しかしその数日後、同じ口から、「十字架につけよ」、「十字架につけよ」との叫びとなりました。

小泉首相は「独裁者の末路はどこの国も同じ。」と感想を述べましたが、と同時に、“神学的”には「罪を犯して神の栄光を受けられなくなった(ロマ3.23)」人間の現状とおもいます。救い主に十字架処刑を求めたエルサレムの住民やサダムの独裁から解放されたバクダットの住民を見くびることはできません。平和におぼれる私たちも「この悪」の誘惑に陥り、「この罪」を犯します。自分の期待通りにならないときです。

(写真1:Patriarcha)
(写真2:枝の授与)
(写真3:ベトファゲ聖堂)

(写真4:よき羊かい)

 

(写真5:行列)

(写真6:フランシスカン)

 

(写真7:行列の先) (写真8:行列の後ろ)