剣を取るものは

1月14日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

2003年が皆様にとって平和と喜びの日々となりますように祈ります

ベトレヘムは、クリスマス直前まで、イスラエル軍の監視下にありました。外出禁止令が布かれ、市外からの人の移動も物資の搬入も、また、住民の外出も厳しく制限さえていました。幸い、24日、25日、外出禁止令は解除され、パレステイナ、イスラエル各地からアラブ・キリスト信者、外国からの巡礼者はベトレヘムに集い、神の子の誕生を祝うことができました。この日は小雨の降る、寒い日でした。

写真:ミニシクラメンこの時期の降雨は恵みの雨です。おかげで、荒れ地に若草が萌え、草花が咲き乱れ、農作物は育ちます。それに、半年は続く乾期のための貯水の雨ともなります。
(写真:ミニシクラメン)

29日、聖家族の祝日、ガリレアのタブガ、聖ペトロの首位権の聖堂で洗礼式がありました。テル・アヴィヴ日本大使館に勤務する家族から長男の洗礼を頼まれていました。この日は、前日までの雨も上がり、風もなく暖かだったので湖畔にあった大きな岩を祭壇にし、ミサ中、洗礼式ができました。こうして、2002年は、洗礼による神の子の誕生と言う恵みで、年を越すことができました。

明けて、2003年。まだ、松の内の5日、テル・アヴィヴで時間差自爆テロがあり、二十数人の死者、百人を超える負傷者を出す惨事がありました。時間差テロと言うのは、インドネシア、バリ島テロのように、最初の爆発で現場を逃げ出す人、犠牲者を助けようと救助に向かう人たちを巻き込む連続爆弾爆発で、死者、負傷者をより多く出すように計画されたテロです。しかも、パレステイナ人が使う爆弾には「釘」や「ネジ」や「鉄片」が詰まり、多くの死傷者がでるように細工されています。
写真:幼き王
私たちは、この事件の場所を知ったとき、どうしてあの場所でと異口同音言いました。テル・アヴィヴの中心地と伝えられましたが、地理的に確かにそうです。しかし、テロリストが敵とするイスラエル人はより北の方に住んでいます。この辺りは、最近移住してきたイスラエル人とか、外国からの出稼ぎ労働者が集まるところです。

予測したとおり、死者のうちに五人は外国人労働者でした。また、負傷しながらも、医療機関に行かず、逃げ去るように立ち去った外国人労働者がいたと報じられました。彼らは不法滞在者で、医療機関で身元がばれれば、拘束され、国外退去されるのを恐れてのことでした。

イスラエルは、即、報復攻撃にでました。そして、パレステイナ人が殺され、傷つき、家屋が破壊さています。この繰り返しです。パレステイナはテロを仕掛けました。そして失ったものはあまりにも多く、言葉で言い尽くせません。また、イスラエルの被害も甚大です。

写真:セトとホルス近、パレステイナのテロリストとバールの予言者が重なってくるのです。昔、エリアはバール信仰に惑うイスラエル人をカルメル山に集めました。そして、真の神は主(ヤーウエ)なのか、バールなのかを確かめさせました。エリアの提案はこうでした。生け贄を用意させました。しかし火を点しませんでした。それぞれが神の名を呼び、天からの火で生け贄を焼き尽くされるなら、その方が真の神としようと言うものでした。この提案は受け入れられ、まず、バールの予言者から始めることにしました。彼らは叫び続け、昼が過ぎました。なんの変化も起きませんでした。そのうち、彼らは「剣や槍で体を傷つけ、血を流すほどになった。(列王記上18.28)」とあります。自分たちの悲惨な状態を示して、バール神の、また、その信者の歓心を買うためなのでしょう。

パレステイナ・テロリストは自分たちのテロ行為で、即、ユダヤ人をこの地から追い出し、イスラエル国家を抹消できると思ってはいません。今は、イスラエルの過剰攻撃、道路封鎖、諸都市への侵攻、外出禁止令、パレステイナ住民に対する過剰な警戒心等の非人道的行為を世界に訴えられればそれでいいと考えているようです。

テロリストには大義名分があります。しかし、彼らはより多くの犠牲者を求めて無差別な殺傷を繰り返しています。そして今、世界は、このようなテロリストとどう対処するかで分かれています。一つは、力で彼らを駆除する。もう一つは、彼らと話し合って解決する。

ところで、エジプトにはこのような神話があります。オリシス(再生の神)の弟セト(破壊の神)は世界を自分で支配しようと、オリシスを殺しました。セトは世界の支配者になりましたが、それはつかの間で、オリシスとイシスとの子ホルス(天空の神)に殺されてしまいます。この神話の「もと」はナイル川の氾濫と豊饒と思います。しかし、私にはこの神話から、古代エジプト人のメッセージが聞こえるのです。セト(破壊の神)は決して世界の支配者とはなり得ない。「剣を取るものは皆、剣で滅びる(マタイ27.52)」はいつの時代、どこにおいても真実です。

「写真:セトとホルス」のラムセス王の頭上には「すべて」、「完全」を現す二重冠があります。エジプト人が人の上に立つものに備わっていなければならない「徳」として、偏り見ることなく、公平さを備えた総合力を求めていたことには教えられます。

ベトレヘムでお生まれになった神の子は聖母マリアの胸に抱かれて安らかに眠っています。東方から3人の博士が訪れ、「王」として拝礼されても、なんのことか分からない「幼い王」で、ヘロデ王からいのちを狙われ、エジプトへ逃れ、難民としてその地で生活しました。
(写真:幼き王)。この幼子イエスが世界の創造者、万物の主宰者、いのちの審判者と言われる「パントクレアトル」となったのはカルヴァリオで自分を見捨てて逃げ去る弟子を見放すことなく、裏切る弟子を破門にすることもなく、また、自分を処刑する人たちの罪の許しを願って殺された後でした。(写真:パントクレアトル)
写真:パントクレアトル
隣の人との間に「和」をつくり、これを保ち、広げることが、十字架のイエスの意を継ぐことであり、「一隅を照らす」ことでもあると思います。

写真説明
「ミニシクラメン」:エルサレムの3月、このような草花に恵まれます。
「幼き王」:聖墳墓修道院で、ご公現の祭日に使われるご像。
「セトとホルス」:「主の降誕を心からお祝い申し上げます」付記参照。
「パントクレアトル」:十字軍が残した12世紀のモザイク。カトリック側カルヴァリオ天井。十字架の道行き「第10留」。

お詫びと訂正:昨年末の「主の降誕を心からお祝い申し上げます」の付記に「比延山延暦寺根本道場」とありますが、これは誤りです。「比叡山延暦寺根本中堂」と訂正させてください。