祭司の王国

11月26日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

11月中旬、10日間、エジプト旅行を楽しんで来ました。この夏は二人欠員の四人の司祭で、四苦八苦でした。

10月になり、新司祭三人が加わり、司祭七人体制となりました。好機到来と10日間の1「ラー・ラムセス」休暇を申し出たら、即、許可してくれました。事前に、旅行代理店で下調べをしていたので、エジプト国内線アブ・シンベルーカイロの航空券まで手にし、11月10日、主日のミサを済まし、喜び勇んで飛び立ちました。

旅行目的は二つです。修道院生活のルーツをたどることと古代エジプト文化に触れることです。まず、紅海側、東砂漠の聖パウロ修道院、聖アントニオ修道院を訪ねることにしました。聖パウロは三世紀半ば、アレキサンドリアの出身で、キリスト教会最初の隠遁修道者です。聖アントニオは聖パウロの弟子となり、間もなくして、師から離れ、隠遁者たちが共住する修道院生活を確立し、オーソドックス諸教会とカトリック教会の修道院生活の先駆者です。

聖人たちの弟子が、今なお、それぞれの修道院で修道生活に励んでいました。また、カイロからアレキサンドリアに向かう道半ば、150キロぐらいのところにあるナトルーンにも、同時代、砂漠に入り、隠遁生活を始めた聖マカリオ、聖ビショイが興こした修道院があり、そこをも訪ねました。

さて、今回の「エルサレム通信」は、砂漠に隠遁し、神のみとの係わりに生きた修道者たちについてではなく、ルクソール2「ラー・クヌム」、デンデラ、アスワン、アブ・シンベル、カイロ博物館を回っての私の大発見についてです。

今日この頃、エジプトの治安は改善されたとは言え、地方での外国人の旅行には制限がありました。これは、イスラム過激派から外国人を守る処置です。フルガダ(Hurghada) から聖パウロ修道院、聖アントニオ修道院、またルクソールからデンデラ、アスワン、アブ・シンベルへの観光バス、タクシーでの移動はパトカーの護衛なしには出来ません(Convoy)。しかし、路線バスでの移動は自由でした。

この時期、イスラム教徒にとっては断食の月(Ramadan)です。日没から日の出前までは飲食が出来ますが、日中は食物を食べること飲料水を飲むことタバコを吸うことが禁じられています。その日、ルクソールからアスワン行きの乗り合いバスに乗りました。ナイル川流域の田園地帯に見入っているうち、日が暮れました。とある町に入って間もなく、バスストップでもないところで止まりました。

運転士と乗り合わせていた数人のエジプト人はバスを降りました。私も釣られて降りたら、道端の空き地に簡易食卓があり、3,40人が食事を始めていました。そして、彼らが一斉に私を誘い、席を空けてくれました。食卓にはパン、ジャガイモの煮付け、マカロニ、煮豆、トマトときゅうりのサラダがあり、取り皿を持ってきてくれました。感謝して頂戴しました。

3「神々との親交」この食事は日中の断食を共に耐えた「ねぎらい」なのかなーと感じました。と同時に、アブラハムが、ヘブロンで天使とは知らず、テントの前を通り抜ける旅人を迎え入れたように(創世記18.1-15)、「あるじ」は見知らぬ旅人であっても、自分の家の前を通り抜ける人をもてなす「しきたり」に生きる人なのかもしれません。あるいは、東洋的な「施餓鬼」の善行なのかも知れません。

そして、ルクソール、デンデラ、アスワンの古代遺跡を見て回り、明日はアブ・シンベル神殿を見学しようとしていたとき、「・・・彼らをわたしたちの神に仕える王、また、祭司となさった・・・(21日のミサ朗読箇所、ヨハネ黙示5.10)」との言葉が目に留まりました。すごい衝撃でした。

「・・・あなたたちは見た 私がエジプト人にしたこと また、あなたたちを鷲の翼に乗せてわたしのもとに連れてきたことを。今、もしわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならばあなたたちはすべての民の間にあってわたしの宝となる。世界はすべてわたしのものである。あなたたちはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる(出エジプト19.4-6)・・・」。これはモーセに導かれ、エジプトを脱出したヘブライ人に対する「主の契約」の言葉です。これまで、どうしても、「祭司の王国」をどう理解したらよいのか迷いに迷っていました。

ヘブライ人の出エジプトはセテイ一世、ラムセス二世の時代です。ヘブライ人のエジプト滞在はこの時代にさかのぼること400年。エジプト新王国時代BC1565-1070にあたります。アブ・シンベル神殿はこの時代の一大傑作であり、ラムセス二世が残した世界的文化遺産であり、王の偉業を称えるモニュメントです。ここを飾る王の巨大な石像、レリーフは見事なものです。
4「神威の具現」
ラムセス二世は父セテイー一世と同じく、アジアに遠征し、ヒッタイトと戦い、アジアまで支配下に置くエジプト大帝国を築きました。写真1「ラー・ラムセス」はエジプトの最高神ラーが戦場のラムセス二世を加護しているものです。勝利は神々の賜物です。それで、写真2「ラー・クヌム」はラムセスが神ラーと創造の神クヌスを供養しているところです。

また、写真3「神々との親交」はハヤブサ頭部を持つ天空の神ホルスと羊の頭のエジプトの守護神アモンとの親密な関係を具現しています。この時代になると神官以外の一般人も神との交わりが持てるようになったとは言え、エジプト各地のレリーフ、絵画を見ると、ファラオ(王)は神々の加護で戦いに勝ち抜き、神々から人々を支配する権能を授かってファラオとなり、ファラオであるので直接神々の供養が出来、神々との特別な交わりに生きていることがわかります。

ヘブライ人はエジプト文化と無縁に生きていたとは言えません。ファラオの宮廷で育ったモーセはこの時代の人でした。モーセが伝える主の契約の言葉「祭司の王国」は、民一人一人が、ラムセスのように、ファラオのごとく「主の加護を受ける王」となり、ファラオのごとく「主に仕える祭司」とするとの約束の言葉と理解しました。

写真4「神威の具現」はデンデラのハトホルス神殿の色彩画です。下段左右には牛の女神ハトホルスを供養するラムセス二世、その頭上に翼のある生き物があります。上段中央にはライオンの台座に死者を寝かせています。その両端に人面背翼の生き物がいます。死者の守護神ネフテイスです。この構図と契約の箱、あがないの座の端に据えられ、羽を広げてあがないの座を覆うセラフィムが重なるのです。(出エジプト37.6-9)。

5「セラフィム」写真5「セラフィム」からこの生き物が複合されたものであることが分かります。「強さ」の具現であるコブラとハヤブサの複合が中央の人面背翼の生き物です。これがセラフィムのルーツと見ました。「神威の具現」上段のライオンをモティーブとした台座もライオンの強さを借りて死者の守護を現わしています。

出エジプトしたヘブライ人はこの時代のエジプトでエジプト人のごとく生活し、しかも、ファラオから強制労働を強いられる被抑圧者でした。モーセは、紅海の奇跡を通して「主の存在」を人々に体験させ、エジプトの宗教概念、宗教儀式でもって「主の存在」を追体験させる契約の祭儀を確立しました。と同時に、エジプトの土着宗教から脱却するため、「いかなる像」をも作ってはならないと厳命し、ヤーウエ信仰の純潔さを守る努力を怠りませんでした。民の「過越」は地理的エジプトからの脱出であり、エジプト人信仰からの「決別」でもありました。

補足
写真:1「ラー・ラムセス」、2「ラー・クヌム」はアブ・シンベル神殿
    3「神々との親交」、5「セラフィム」はカイロ博物館 
    4「神威の具現」はデンデラのハトホルス神殿