聖母被昇天祭

8月20日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

 写真1:聖母被昇天の祭壇  七夕の、タボル山の星空はきれいでした。対を成す、牽牛と織姫は南方向にありました。しかし、どちらが牽牛で、どちらが織姫かと尋ねようにも、答えてくれる人は見当たらず、自分で探すにも、星空地図帳はありませんでした。エルサレムに戻って数日後、「何か必要なものがあったら、遠慮なく申し付けてください」と言ってくれた友人を思い出し、星空地図帳を無心しました。「送った」とのメールを受けてから一週間、心待ちしていた星空地図帳を手にしました。そして、毎夜、テラスに出ては、星空を眺めています。

   そして、ペルセウス座流星群が話題となりました。アンドロメダとカシオペアの位置からして、東北東に見えます。ちょうど真夜中が条件が良いとのことでした。これは、私にとっても好都合でした。

   「流星を見た。線香花火のようだった。」と友人にメールしたのですが、日が経つにつれて、疑わしくなってきました。メガネをはずせば三日月は二重に見えます。乱視なのです。はやる気持ちが錯覚を引き起こしたのではないかと。証拠となる写真を撮ろうと気構えたら、14日の晩から雲が出るようになり、おまけに、月空となり、いまだ、写真を撮ることが出来ません。

   15日、ゲッセマネの聖母のお墓に行き、グロットで聖母被昇天のミサを捧げました。これまで、毎年、日本人信者が何人か参列していたのですが、今年は状況が状況で、一人踏みとどまっているNGO活動家からは都合がつかないと断わりの連絡がありました。
(写真1:聖母被昇天の祭壇)

   グロット前にアルメニア正教会の一行が控えていました。なかに、顔見知りの写真2:アルメニア・シリア神父様がいたので挨拶し、「今日は・・・」と尋ねたら、「聖母被昇天祭準備のためのミサ」との返事でした。オーソドックス諸教会ではこの祭日のため15日間連続ミサをグロットで捧げます。

   まず、ギリシャ・オーソドックスが聖母マリア墳墓祭壇でミサをします。約2時間かかります。8時からはアルメニアがこの主祭壇を使います。その左先のアルメニア祭壇ではシリアが
(写真2:アルメニア・シリア)、主祭壇を使っているアルメニアの背後ではコプトがミサを捧げるのです。(写真3:コプト)。異様な光景です。

   フランシスカン(カトリック)はグロットではミサをすることが出来ません。しかし、権写真3:コプト利は保有しています。ですから、聖母被昇天祭当日、夕の祈りを、ここで、公に捧げます。祭日のミサは「苦悶の大聖堂(万民教会)」で行われます。私は、私たちのグロット、「裏切られた聖堂」で、聖母被昇天ミサをすることにしています。

   ミサを終え、お墓をお参りしようとグロットに入ったところで、最近、友人となったエチオピア正教会の神父さんと出会いした。カトリックは今日が被昇天祭でしたと言うと、「祝う日が違っても、同じ聖母を祝うのだから・・・」と、包み込むような暖かい答えがありました。
(写真4:エチオピア)。エチオピアはコプト正教会です。以前は聖墳墓大聖堂内の聖へレナ聖堂(エチオピア共同体直下)を持っていましたが、イタリアがエチオピアを侵略したとき、アルメニアに売り渡し、大聖堂内での権利を失いました。その後、エチオピアが共産化したとき、エジプト・コプト正教会から完全に自立した教会となりました。その結果、エジプト・コプト教会と聖墳墓大聖堂に関して、まだ解決されない問題があります。ちなみに、アルメニア、コプト、シリアは8月16日(今年は22日)に聖母被昇天祭を祝います。
写真4:エチオピア
   ギリシャはユリウス暦8月15日(今年は28日)が聖母被昇天祭です。祭日の三日前、私たちの暦で25日、聖墳墓大聖堂前の修道院から「永眠の聖母イコン」を行列して、ゲッセマネに運びます。これは、葬送行列の典礼化と思います。そして、キリストが三日目に復活したように、聖母も三日目の15日、「天に上げられた聖母の昇天」の典礼が聖母被昇天祭となったと考えられないでしょうか。

参照:2001年8月6日 聖母被昇天

春山勝美神父