真実が語れない

5月8日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

ベトレヘム問題は大詰めを迎えたようです。しかし、現時点では、まだ、希望的観測です。そこで、こんな「よしなしごと」が思い浮かびました。

その一。時は紀元前7世紀初頭。舞台は互いに世界制覇を狙う巨大帝国エジプトとバビロンの狭間、ユダ王国のエルサレム。時の王はヨシアで、主の神殿で発見した「律法の書」を民の読み聞かせ、宗教改革を断行した王でした。(列王記下22章)。

さて、エジプト王ネコはメソポタミア遠征のため大軍を率いて進軍してきました。ユダはバビロンの支配下にあったので、バビロン側諸王と共にエジプト軍の進撃を阻止すべく、手勢を率いてメギッドの戦闘に参戦。しかし、武運つたなく戦死しました。重臣たちは後継者選びで割れました。兄ヨアキム(エルヤキム)を押したのはエジプト寄りの家臣でした。弟ヨアハズに組したのはバビロン寄りの家臣でした。先王ヨシアの意を汲むものとしてヨアハズがユダ王に選ばれました。

再び、エジプト軍が進攻してきました。ヨアハズはエジプト軍に立ち向かい、敗れ、3か月で退位させれら、エジプトに連れていかれました。エジプト軍はヨアキムを王としました。そして、また、エジプトはバビロン制覇を企て、メソポタミアに遠征しました.しかし、今回はバビロン軍に大敗し、パレステイナを放棄してエジプトへ敗退しました。
パレステイナに進攻してきたバビロン王ネブカドネツァルはエルサレムに攻め込んで来ました。ヨアキムはバビロン王に降りました。しかし、3年後、エジプト寄りの家臣にそそのかされ、バビロン王に背き、敗れ、青銅の足かせをはめられ、バビロンへ連れていかれました。その後、ユダ王にヨヤキムがなり、ゼデキアがなりました。

このゼデキア王もエジプト寄りの家臣に引きずられ、バビロンの臣下として留まれきれず、背きました。エルサレムがバビロン軍に包囲され窮地にあったとき、ゼデキア王は預言者エレミアをひそかに呼び、相談しました。預言者エレミアは「イスラエルの神、万軍の神なる主はこう言われる。・・・もし、あなたがバビロンの王の将軍たちに降伏するなら、命は助かり、都は火で焼かれずに済む。(エレミア38.17)」と神の言葉を告げました。しかし、王は「わたしが恐れているのは、既にカルデア軍のもとに脱走したユダの人々である。彼らに引き渡されると、わたしはなぶりものにされるかもしれない。(エレミア38.19)。」と言い、神の言葉に聞き従うことが出来ませんでした。そして、エルサエムは陥落、火で焼かれました。紀元前586年のことでした。

その二。さて、昨今のベトレヘム生誕大聖堂をあの時の「エルサレム」と見ます。ベトレヘムは1955年、オスロ協定に基づき、パレステイナ暫定自治政府の支配下となりました。2002年4月2日、イスラエル軍が進攻し、いまなお、生誕大聖堂を包囲しています。大聖堂はギリシャ正教エルサレム総大主教区、フランシスコ会聖地準管区、アルメニア正教エルサレム総大主教区が管理しています。ヴァチカンとパレステイナ暫定自治政府との政教協定で、聖所、修道院、教会への不可侵権は保証されているはずです。それにもかかわらず、4月2日、突然、イスラエル軍に追われた武装パレステイナ人が住民と共に侵入してきました。ベトレヘム生誕大聖堂篭城事件です。

イスラエル軍はテロリスト最重要容疑者が逃げ込み、聖職者たちを人質にしている。人質解放とテロリスト逮捕まで包囲を解くわけにはいかない。そして、ガンマンたちの攻撃に備えて、狙撃兵を周囲に配して布陣しています。

一方、パレステイナ側はイスラエル軍が暫定自治区に進攻してきたこと事態が主権侵害であり、即時、撤退すべきである。また、大聖堂を占拠したのではなく、保護を求めての避難であり、聖職者たちとの関係は良好であると言います。

そして、フランシスコ会生誕修道院からは、事件当初、イスラエル非難がありましたが、その後は、食料の欠乏を訴える声が聞こえてきますが、救助の要請はありません。

その三。ところで、ギリシャ、フランシスコ会、アルメニアは共同で事件の早期解決に努力しています。しかし、ここに来て、この三者には、事件解決後を考えてか、対応に違いがあることに気づきました。

まず、ギリシャです。イスラルにもパレステイナにも多くの修道院、多くの信者を擁しています。また、昨年、総大主教が亡くなり、8月13日、シノドスで新しい総大主教にイリネオス(Irineos)主教を選びましたが、イスラエルは選挙結果を承認していません。選挙前、3人の候補者を選び、イスラエル、ヨルダン、パレステイナの承認を得ての選挙でした。シノドスでの選挙結果をヨルダン、パレステイナはすぐ承認しましたが、イスラエルは選ばれたものが親パレステイナ寄りだとし、承認を保留しています。シャロン首相は、今回の軍事作戦でギリシャとの関係が損なわれることを恐れ、総大主教選挙結果を承認するよう内閣に諮りました。

ところが、宗教政党の閣僚アリエル(Uri Ariel)から反対意見がありました。彼によると、ハンナ(Atala Hanna)総大主教区スポースクマンがラッマラで、パレステイナのテロリスムを称賛し、イスラエルへの反乱を呼びかける檄文を出したと言うのです。驚いたエルサレム総大主教区は、ハンナ主教は総大主教区のスポークスマンではない。メデイアが勝手に呼んでいるもので、総大主教区の公式の見解はイリネオス総大主教「本人」と正式のスポースクマンはヘッシキオス(Hessychios)首座主教、「私」なので、この二人以外の発言を公式なものとしないで欲しいと要請しました。ベトレヘム問題でコメント、一つ出していません。

フランシスコ会は聖地の重要な聖所を管理しています。イスラエルには「最後の晩餐の部屋」があり、ジャッファがあり、ナザレがあり、ガリレアがあります。パレステイナにはエルサレム旧市街に「キリスト復活大聖堂」と「鞭打たれた聖堂」があり、ゲッセマネ、「主の泣かれた聖堂」、ベッツファゲ、ベタニア、エマウス、それにベトレヘムがあります。カトリック信者がイスラエル、パレステイナ双方にいます。クストス(準管区長)からは、事件解決のため、各修道院で、聖体を顕示して1時間の聖時間を持ち、神の助けを願うようにと「呼びかけ」があっただけです。ローマ教皇庁にすべてを任せております。
アルメニアはベトレヘムとエルサレム旧市街アルメニア地区と「キリスト復活大聖堂」が主なところです。アメリカ前大統領クリントンのエルサレム分割案ではアルメニア地区はイスラエル側でした。アルメニア総大主教区の広報担当シルヴァニアン主教(Aris Shirvanian)はベトレヘム生誕大聖堂内部はお互いに良好な関係だと話しています。

5月5日のTheJerusalemPostに記事がありました。
Church officials allege Bethlehem cover-up
Lauren Gelfond
http://www.jpost.com/NASApp/cs/ContentServer?pagename=JPost/A/JPArticle/Full&cid=1020337085802

要約すると、教会指導者たちはベトレヘムの事実を隠している。聖職者たちが残留しているのは自由意志ばかりではない。人質として行動の自由が奪われている。一緒に逃げ込んだパレステイナの住民も人質だ。彼らは脅され、教会を出ることが出来ない。聖職者たちは暴行を受け、聖所は涜聖され、金銀は奪われた。聖職者・住民とテロリストグループ、また、テロリストグループ同士で緊張関係にある。

この記事の出所は近頃開放されたアルメニアの修道士と思います。アルメニアはギリシャやフランシスコ会ほどパレステイナに気を使わなくてもいいからです。また、こんな記事もありました。ベトレヘムのキリスト信者は脅されている。パレステイナ(イスラム教徒)に同じアラブ人として協力するのか、しないのかと。協力しなければ生活ができなくなる。中立であることも出来ないのが現実だとのことです。

それに、シャロン首相がアメリカに携えた「アラファトファイル」には、補足的に、キリスト信者がパレステイナ政府機関から「土地没収」、「財産の強奪」、「犯罪的被害」を被ったことが記されていると報道されました。このファイルはイスラエル軍が西岸に進攻し、没収した資料や逮捕したテロ容疑者尋問で聞き出した調書に基づくものだそうです。

ところで、なぜ、教会は発言しないのでしょうか。それは事件解決後を考えるからでしょうか。イスラエルを強く非難すればイスラエル国内での活動を妨害される。パレステイナの非を訴えると、イスラエル軍撤退後、パレステイナの仕返しが待っています。