おんな・かみかぜ・テロリスト

2月4日(2)

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

1月27日、昼ごろ、エルサレム繁華街、ヤッフォ通りからキングジョウージ通りが始まる、魔の一角で、一人死亡、百五十人を超える重軽傷者を出す自爆テロがありました。魔の一角と言うのは、数日前(22日)、テロリストの銃乱射で、二人死亡、数十人が重軽傷を負うテロリスムがあり、昨年8月、キングジョウージ通が始まる角のイタリアレストランで、十五人死亡、百人を超える重軽傷者を出した自爆テロがあったからです。

しかし、今回は、最初の「おんな」神風テロリストによるものでした。これまでは、パレステイナ女性のチェックポイント通過には寛容でした。これからは、厳格なチェックが行われるのは必死です。

今、世界の用語となった「神風」テロリストは「神風特別攻撃隊」から取られた「神風」です。これは「海軍が編成した航空機による特攻隊で、1944年10月、米軍のフィリッピン上陸作戦に対抗するため、大西滝次郎海軍中将の提唱により編成され、米空母等に体当たり攻撃を行ったのが最初」と広辞苑にあります。

その後、国内では戦果が誇張され、多くの若者が志願して、命を落とす悲劇となりました。悲劇というのは、すでに戦局は決まり、このような特攻隊員の死でもっても、日本敗戦を覆す要因にはなりえず、ただ、国民の戦意高揚に利用されていたからです。

最近多発するパレステイナ神風テロに敗戦直前の日本を思い起こしました。今回のテロリストは女子大生とヒスボラ(レバノン)とカタールのテレビ局は報道しましたが、イスラエルもパレステイナも、まだ人物を特定していません。ただ、28日の新聞(The Jerusalem Post)では、これまでのIntifadaで6人の大学生が神風テロリストとして命を落としていること、また、今回、女子学生が志願したのは、長びく闘争で家族の経済状態が貧窮してしまったので、組織からの報奨金が目当てになったのではないかとありました。

いずれにしても、神風テロは「パレステイナの大義」として、位置づけられていますが、テロに対するイスラエルの報復は必ずあり、そのつど、パレステイナ住民が追い詰められているのが現実です。

長野県上田市郊外に「無言館」があると知りました(2001年8月9日朝日新聞インタネット版)。「画業を学ぶ道なかば、戦場で、あるいは戦いで得た病によって倒れた若者たちの・・絵や彫刻などが・・・収められている。たとえば、・・・敗戦の一ヶ月前、22歳で戦死した蜂谷清さんの「祖母の像」・・・戦争が始まってしばらくした日、清さんは、しわの一本一本まで精魂込めて、最愛の祖母なつの肖像画を描いた。「ばあやん、わしもいつかは戦争にゆかねばならん。そしたら、こうしてばあやんの絵も描けなくなる」。

戦争という、国家の一大事に男たちは命を張って戦場に行きました。そして、恋する人たち、愛する人たちへの篤い思いを抱きながら、戦場に散った多くの兵士がいました。これに、パレステイナの若者が重なってきます。

昭和天皇の戦争責任についての議論を聞くことがあります。ここで思い起こしたいことは、戦争終結に昭和天皇が果たした役割です。戦争による被害が、これ以上、国民に及ぶのは忍びがたい、耐えがたいと自分の身柄を無条件で敵国、連合国に預けることを決意し、主戦論者を押し切ってポツダム宣言を受託しました。そして、戦争は終わりました。聖地と言われるこの地には、「大義」のために命をかける戦士はいても、昭和天皇のように争う相手に「命を預ける指導者」はいません。