神風テロ

8月16日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

   親兄弟、恋人、友人にも多くを語らず、国の為に若い命を捧げた特別攻撃隊員を思い出しています。それは、8月15日、終戦記念日を迎えたからばかりでなく、イスラエル各地で多発しているパレステイナ人の自爆テロの現状からからでもあります。生還の望みを、まず、絶って、また、敵を滅ぼすと言うよりは、ただ、敵に出来るだけ多くの損害を与える手段として考え出された戦術は、今、パレステイナ人に引き継がれています。特別攻撃隊の別名、神風攻撃隊の「神風」は世界共通語となりました。

   8月9日午後、エルサレム繁華街でのパレステイナ人の神風テロは日本でも報道されたと思います。今日、街に出たので、現場を見て来ました。気のせいか、往来は少なかったです。のきの「SBARRO(レストランの名)」と手前、道路わきの「HOTEL PARATIN」の標識は何事もなかったかのように、以前のままでした。しかし、店はパネルで塞がれていました。そのパネルには犠牲者の名でしょうか、黒文字ヘブライ語を太い黒枠で囲った紙が何枚か張ってありました。写真も一枚ありました。この店前には、いつも、体の不自由な物乞いがいたのでしたが、見当たりませんでした。

   
事件後の新聞記事から拾ってみました。
   
15人の死亡者のうち、五人の犠牲者を一家族で出す悲劇がありました。オランダからの移住者でした。葬儀にはオランダ大使が参列しました。弔辞を始めた時、他の弔問者が騒ぎ出しました。「この犠牲者はEUの犠牲者だ。折りある毎に、パレステイナを肩入れしていることが、結果的にパレステイナを増長させ、テロ行為を挑発させている…」。

   事件のあったレストランは9人のイスラエル人と9人のアラブ人が気持ち働く仕事場でした。彼らは互いに何の隔たりも持たず、冗談を言い合い、お互いの問題を分かち合うことの出来る仲でした。この店の従業員一人が犠牲となりました。レジを担当していた二十歳のイスラエル人女性でした。彼女がレジに座った直後の爆発でした。代わったアラブ人のチーフは柱の影で助かりました。このアラブ人チーフはインターヴューで、亡くなった彼女について「以心伝心の仲だった」と言っています。

   15歳の仲良しの一人が犠牲となりました。彼女らはお互いの家を訪問し合い、何でも分かち合える仲でした。彼女らはその日、まもなく帰国する三番目の友人の部屋を二人で飾り、食事の為、立ち寄ったレストランで惨事に遭いました。

   エルサレム市長は事件の直後、直ちに、パレステイナ人へ復讐に走らないように市民に呼びかけました。翌日の新聞に、警察隊に保護されながらも、近くで働くパレスチナ青年達の怯えた姿が載り、印象的でした。


   今回は、これまでのどのテロ行為よりも、テロを憎む心が沸きました。それは、私の生活圏で起きたテロであり、私が被害者となり得るからです。さらに、テロを憎むのは殺害対象が無差別で不意打ちだからです。それに、パレステイナの同胞をますます苦境へと追いやるからです。

   イスラエルはその日のうちに行動を起こしました。ラマッラの警察本部をファントム戦闘爆撃機を使って破壊し、東エルサレムのパレステイナ暫定自治政府関連の施設を封鎖し、その後、ジェニンの警察施設を自爆テロ企画施設と断定して、戦車を導入して破壊しました。

   テロを企画し、人々をテロリストに仕上げ、実行させる活動家が「豆腐の角に頭をぶつけて、死ななければ」、この地から殺し合いのシーソーゲームは終わりません。(「馬鹿は死ななければ治らない。豆腐の角に頭をぶつけて死んじまえ」とのコンテキストで理解して下さい。指導者の死を願っているのではありません。)