聖 墳 墓

月28日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

墓塞ぐ キリストが埋葬されたところがキリスト復活記念聖堂(聖墳墓)です。現在は十字軍が残した大きな建物のなかにあります。真上のドームは1990年に完成したものです。70年、ローマ軍によってエルサレムは占領され、神殿が破壊されました。その後、132年、バル・コッバの反乱が起きましたが、135年、ローマ皇帝ハドリアヌスはこれを鎮圧し、国名のユダあるいはイスラエルと都市名のエルサレムの使用を禁じ、地方名をパレステイナ、都市名をユリア・カピトリアとしました。この時、キリスト信者にとって最重要な聖地、カルヴァリオは破壊され、そこにローマの神神を祭る神殿が建ちました。このため、地形が変わり、聖書の記述のイメージが見出せなくなりました。

 墓の入り口に大きな石を転がしたとあります(マタイ27.60)。写真(墓塞ぐ)はキリストと同時代の墓の入り口です。手前に階段があります。先に遺体を置く玄室への入り口があります。この入り口が左手の石を転がすことによって塞がるのです。

現在の聖墳墓は八角形の玄室と方形の前室との組み合わせです。復活の朝、女たちは香油の壷を持ち、墓に駆けつけました。入り口を塞いでおいた大きな石はわきへ転がしてあったとあります(マタイ28.2)。天使が現われ、女たちに言います:「恐れることはありません。あなたがたは十字架につけられたイエズスを捜しているのでしょうが、ここにはおられません。かねて言われたとおり、復活されたのです。さあ、入って、イエズスが置かれていた場所をごらんなさい(マタイ28.5-6)」。写真(玄室入)は玄室入り口の大理石のレリーフです。手前右に一部見える祭壇に墓を塞いだ石の一部が納まっています。
玄室入
玄室の入って右半分がキリストの遺体を置いたところです。しかし現在では、その聖所は石棺のような長方体の大理石で覆われています。この上には42の大小のランプが垂れ下がっています。天井は八角錐になっています。正面が写真(墓聖母)です。ギリシャ語で神の母とあります。それぞれの面に、香油の壷を持った婦人たちが描かれています。聖母がおん子の亡骸を見守っている構図に感動しました。

母が最初の心臓発作で入院し、危篤の知らせで駆けつけた時でした。病室に入ると鼻には酸素管、腕には点滴の針が刺さっていました。しかし、言葉は交わすことが出来ました。しばらくすると、自由の利かない手を頭の方に持って行こうとしています。どうしたのと聞くと、「お前は遠くから来たのだから疲れているだろう。そこで寝なさい」と自分の枕を取ろうとしていたのです。心臓の半分は壊死している状態でした。それから数年後、死の数時間前でした。母危篤で呼ばれた弟が駆けつけてきました。以前、私に言ったおなじことを言い、枕を頭からはずし、渡そうとしました。親元を離れて数十年、五十代になっても、息子は息子。子供は母親を忘れても、決して、母親は子供一人ひとりを忘れず、いつも子供のために生きている。母が残してくれた貴重な体験です。

聖母が、神の子であり、自分の子であるイエスが生きているときも、墓に葬られていたときも、天の栄光の王座に着いてからも、いつも、おん子のために生きていることを自分のささやかな体験で推し量っています。

アンジェロ春山勝美神父